ハワード・ミラー社から送り出された数多くの時計達は、ミッド・センチュリー等のインテリア通からは、ジョージ・ネルソンがデザインしたものと認知されている。
しかし、それは間違いではないが、正確でもないことはあまり知られていない。
ハワード・ミラーのアイコンとして、最初に発表されたボール・クロックも、実は友人であるイサム・ノグチやこれから紹介するアーヴィング・ハーパー(Irving Harper)がデザインにかかわっていたのだ。


ハーパーは、かの有名なイームズのシェル・チェアを輩出したハーマン・ミラー社のロゴをデザインしていることでも知られているが、イームズやジョージ・ネルソン等の巨匠に比べれば、残念ながら日本では無名に近い存在だ。
驚きなのは、ボール・クロック以外のネルソン・デザインの代表作である
マシュマロ・ソファーですら、実際はハーパーがデザインしたものなのである。
(最近は両名の名前をクレジットして販売されている場合もある)


実はハワード・ミラーのネルソン・クロックも大部分はパーパーのデザインであるとも言われている。
では、どうしてそれらのデザインが全てジョージ・ネルソンのデザインとして認知されているのであろうか?その謎を解く鍵がGeorge Nelson Associatesなのである。
George Nelson Associatesとは、ジョージ・ネルソンが経営するデザイン事務所で、数多くの優秀なデザイナーをスタッフとして抱えており、そこから輩出されたデザインはGeorge Nelson Associatesとして発表されたのだ。
前述のアーヴィング・ハーパーもそこのデザイナーの一人であった。
しかし、ここからは私の推測であるが、決してジョージ・ネルソンが彼らのデザインを横取りして発表していたと早合点してはいけない。
ネルソンは、優秀なデザイナーであると共に、優秀な経営者であり、プロデューサーであったというのが正しい解釈であろう。
どんなに優秀なデザイナーであっても、そのデザインを世に知らしめる機会を得ることは、資金面等から考えても非常に困難である。そこでネルソンは、既にブランド力のある自分の名前を冠したデザイナー集団を組織し、彼らの素晴らしいデザインを世に送り出す機会を作る為に貢献した、というのが私の見解である。
巨匠の巨匠たる所以はここにあるのだ。
因みにイームズのシェル・チェアも、イームズ夫妻だけでデザインされたものではないのは知られた話であるが、彼らの偉大さに変わりは無い。


また、彼等はいわゆる工業デザインのスペシャリストである。あたかも工業製品のように、パーツ毎にデザインを分担したり、パンフレットや宣伝は他のスペシャリストが担当するといった、極めて分業的・工業的な方法で作品を生み出そうと考えても、全く不自然ではない。
話は戻るが、今まで紹介してきた作品のデザイナーであるアーサー・ウマノフ(Arthur Umanoff)もそんなデザイナーの一人であり、契約切れとなったネルソン・チームの後を引き継ぎArthur Umanoff Associatesとして1960年代後半から数多くの作品を生み出している。
彼は殆ど無名に近いデザイナーであるが、彼らの残した作品は、数10年経った現在でも今なお色あせることはない。
最後に、わたしの記述は信頼可能な情報に基づいたのものですが、正確な資料に乏しい為、一部独自の研究や推測の部分も含まれます。
間違いが判明した場合は直ちに訂正しますので、正確な情報をお持ちの方は、ご指摘頂けると非常に有難いです。
参考文献・サイト
George Nelson Design ArchiveMetropolis MagazineIrving Harper/ George nelsonArthur Umanoff: More than Metal